- 独り言
そこに価値はあるのかい?
会議やセミナーなどで、よく不思議に思うことがあります。
それは、『なぜ資料を一々読み上げるのか』です。
資料として参加者に公開してあるのなら、各自が読めばいいだけではないかと思います。
もちろん、特に重要な部分を強調したい場合などに効果的なのは分かります。
ただ、多くの場合には、ただただ淡々と、抑揚のない声で読み上げ続けます。
彼らはいったい、どんな効果を期待しているのでしょうか?
また、『資料に書いてないことを長々と説明する』というのも、よく分かりません。
『今説明したことを資料に書き加えておいてください』と言いたくなります。
説明したい内容が書かれていない資料に、いったい何の価値があるというのでしょうか?
会議でもセミナーでも、わざわざ参加してまで聞きたいのは、資料に書いてある以上の「情報」だと思います。
例えば、資料に統計データがあって、結論も書いてあるのなら、『どれほど自分がこの案を実現したいか』という点について熱弁していただきたいです。
そうすれば、文章だけでは表現しづらい「情報」を得ることができます。
もちろん、資料の内容に基づいてキッチリ質問させてもらいますが、その質疑応答も、参加者全員で共有できる追加の「情報」だと思います。
昨今では、ChatGPT など、自然言語を扱う AI も出てきています。
なにか、(できれば日本語に強い)プレゼンターAIとか出てこないでしょうか?
事前に、説明者にはどっかでちょっと壁に向かって説明してもらって、音声認識+生成AIで、その内容も資料に落とし込んでもらう。
で、その資料を配布する。
素晴らしい!
実に破壊的な変革です。
説明者は説明したいことを自動的に資料に落とし込める。
参加者はただの音読を聞かされる時間から解放される。
内容も充実するでしょうし、無駄な時間も削減できます。
効果もバッチリ、まさにDXではありませんか。
まあ、不要な情報として、話したことがバッサリカットされる可能性はありますが。
それでは、資料の音読に価値を見出せない、山本慎一郎でした。