- 独り言
どれが私の生きる道
今の時代、どんな職業でもビジネスの観点が求められます。
ましてや、個人事業主としてやっていくならなおさらです。
ですが、私個人の資質としては、ビジネスがとても下手っぴな人間だと思います。
まず、広告や宣伝が嫌いです。
日本人は結構、広告することが憚られるんじゃないかと考える方が多い気はします。
ただ、私の場合はそうではなく、もっと古臭いタイプの考え方です。
『イイモノを作れば広告や宣伝などしなくても売れるはずだろう』
もうドラマの頑固な職人を地で行くような考え方が、根底にあります。
次に、収益に対して無関心です。
現代の資本主義では、事業を成長させ、収益や配当を増大させることが重要です。
収益が増大すれば次の事業を始めることができ、それが成長すればさらに収益が増えて、企業自体もどんどん成長していくためです。
ただ、私の場合は、収益を増大させることに関して、ほとんど関心がありません。
最近巷では、フリーのエンジニアなら年収1000万円が目標というお話をチラホラ耳にします。
お金は大事なものですから、私も最低限の計算はしてますが、別に1000万円もいらないかな、で終わってしまいます。
『もっと! もっと!』という欲がないのは、競争社会ではマイナス要素だと思います。
最後に、交渉が下手です。
交渉や調整というのは、事前に色々と準備したり根回しをした上で、最終的に合意するものだと思います。
私の場合、そういった根回しなどが苦手です。
多少オブラートに包んだり表現を変えることはあっても、基本的に真正面からド直球を投げ込みます。
これまでの経験上、そういった性分を評価してくださる方もそれなりにいらっしゃり、お陰様で何とかやってこれています。
ですが、ビジネススキルという面では、これもやはりマイナス評価だと思います。
そんな感じで、まあ「商売」が下手です。
ただ、この間ふと思ったんです。
『もしかして「商売」じゃない事業に向いてるんじゃないか?』
「商売」じゃない事業、つまり慈善事業や収益を目的としない事業ですね。
私でいえば、オープンソースのプログラム(中身が世界に公開されているプログラム)の保守(機能を維持したりバグを直す管理作業)や、デジタル技術の教育、普及を行う事業、といえばイメージがつくでしょうか。
これも昔から思っていたのですが、私の「愛」は「誰かへの愛」ではなく、「万人への愛」な気がしています。
家族愛や地元愛など、色んな「愛」があると思いますが、私は特定の個人や組織に対する「愛」はよく分かりません。
こんなことを言うと懇々と諭されそうですが、スポーツなどで熱狂するのも理論的に理解はできますが、自分で実感することはありません。
(福岡県在住なので、スーパーなどである地元の野球チームの優勝セールなどは、ちゃっかり利用させてもらってますが……)
逆に、ホームページにも記載しているデジタル安全教育など、『すべての人が安全に暮らせるように』といったような活動には、何か執着心があるように感じます。
おそらく、これまでの人生で『すべての人々』に支えられてきたことが要因だろうとは思います。
これは比喩的な表現ではありません。
県の奨学金で大学にも行きましたし、持病が多いので、病院の診療費などの保険負担部分(国民健康保険など)も、県民の平均額より遥かに高いはずです。
もう目に見えるかたちで、確実に、県や国、あるいは世界の人々に支えていただいたからこそ、いま私が生きているわけです。
そういった背景を考えると、『「商売」じゃない事業』で生きていくのも一考の余地がある気がしています。
もっとも、「商売」でないとはいえ自分の生活費は稼がないといけませんから、タイプとしては『収益を目的としない事業』になるでしょう。
ただ、『じゃあどうやって稼ぐんだ』となると、やはりビジネス戦略やサービスデザインなどから、しっかりと考えていかなければなりません。
もちろん、情報セキュリティの確保も大前提です。
何のための情報処理安全確保支援士か分かりませんからね。
また、冒頭であれだけ下手っぴだといったビジネスの視点で見れば、自分の下手な領域で競争に参加する必要もありません。
自社(自分)のコアコンピタンス(他人に負けない、自分の強み)を自覚し、それを生かした事業で競争優位性を確立し、競争の源泉となる資金などを調達するのが、現代の資本主義社会で生き残るための定石です。
結果として、『「商売」が下手なら「商売」しなければ「商売」に勝てるのでは?』という、何だか禅問答のような答えに行き着くわけです。
うーん……?
そんなこんなで、「商売」しないのもありかなぁ、と今週ふと思いました。
ちょうどゴールデンウィークも近いですし、個人事業主として一仕事終えた体験も踏まえ、一歩引いて俯瞰してみるのもいいのかもしれません。
それでは、個性を社会に合わせるのではなく個性に合う社会で生きる時代なのではと感じた、山本慎一郎でした。